年が明けて、もう明日からはほとんどの人が仕事始めだ。このブログも、2014年を始動させようと思う。みなさん、明けましておめでとうございます。
”クリエイティブビジネス論”のタイトルで、メディアやコンテンツの最先端や行く末について書いてきた。2008年3月からなのでもうすぐ6年が経とうとしている。よく続いたものだと思う。
去年から、ちょっとした実験をはじめた。ふつう、記事を書く時は何となく思いついたことを、その時々でタイトルを漠然と考えて書きはじめる。タイトルと内容はセットで考えるのだ。書いた後でタイトルを書き直すことも多い。
一方、最近ネットでの物事の伝わり方で”見出し”と”ビジュアル”がセットになっていることが多いなあと思った。なんだそりゃ?と思わず興味を引く見出しの言葉と、記事の中で使われた挿し絵的なビジュアルがセットでFacebookやTwitter上を飛び交う。それが現象として面白いなと思った。ビジュアルの方は書き手の意図とは別にそのページに置かれた写真がたまたまランダムに選ばれたりするので、見出しと関係ないものだったりもする。それはそれでいい加減さがいまのネットっぽくて面白い。
でも、どうせワンビジュアルが流通するなら、もう少し計算できないだろうか。つまり、見出しとなるタイトルと、セットで流通するビジュアルを作ると面白いんじゃないか。どうせなら、見出しコピーはビジュアルの中に入れた方が独り歩きしても効力を発揮するんじゃないか。
ぼくはいま、銀座8丁目のBeeStaffCompanyというデザイン事務所に間借りしている。そこのボスのアートディレクター・上田豪氏とは旧地の仲だ。そして彼は新しいコミュニケーションの形にも強く興味を持っている。そこで上田氏に相談し、あらかじめぼくが作った見出しコピーを4〜5点ずつ渡し、それにビジュアルをつけてもらった。それが以下のビジュアルだ。10月から12月までで8点制作してみた。
それぞれのビジュアルをクリックすると元の記事に飛ぶ。ぼくのブログは外部サイトにも転載されているので、そっちに飛ぶものもある。
自分たちで意図したほど見出しとビジュアルがうまくセットで流通したかはわからない。そしてよくわかったのは、ビジュアルが思惑通りの形では流通しないことだ。完成させた通りの枠組みでは表示されず、勝手にトリミングされて表示されるケースもあった。そういう難しさもあったが、やはり普通に見出しをテキストで表示するよりずっと訴求力はあったようだ。普通の記事よりもレスポンスが高かったと思う。
とくに最後から2番目の「日本人の普通は、実は昭和の普通に過ぎない。」は転載されたハフィントンポストの方で”いいね!”が5000を超えていた。これにはびっくりした。ちょうどハフポストが5月のスタート以来読者数が伸びてきた頃合いだったのもあると思う。でもこの記事はけっこう思い入れのあるネタを渾身の思いで書いたので、反応が強かったのはうれしかった。
この手法の効力は置いといても、ブログというツールがあり、ソーシャルメディアを通じてそれが見知らぬ人びとの間で流通し、またハフィントンポストのようなブログ集積メディアが登場した、この時代は面白いなあと思う。ぼくは広告の中の言葉を作る仕事をしてきた。自分が書いた文章が多少話題になったこともある。だがそういう”仕事”としてやったことの反応とはまったく違う感覚を、ブログを通じて味わっている。誰かに頼まれたわけではない、自分がほんとうに言いたいことが、世の中に多少なりとも影響を及ぼす。そんなことはこれまで起こりえなかったことだ。
ぼくが「日本人の普通は・・・」の記事で言いたかったことは、例えば日本人の常識は民族性に帰すものではないのだから、変えることができるのだということだった。もしそんなぼくのメッセージが”いいね!”した人の心に少しでも変化を引き起こしたのなら、つまり「へー、そうなんだ、だったら今おかしいと思ってることも変えられるのかな?」てな程度の思いを持ってもらえたのなら、ぼくの言葉は少しだけこの国を動かしたのかもしれない。それこそが、ぼくが言いたかったことだ!世の中は、ぼくたちが少しずつ影響を及ぼしあいながら、確実に変わっていっているのだ。だからぼくたちは、もっとこうした方がいい、と思ったことは口に出して言った方がいい、文章に書いて発信した方がいい、ブログが面倒ならtwitterでつぶやいたっていい。言いたいことは、言った方が、いいのだ。
というわけで、今年もこのブログを通じて、ぼくは自分が言いたいことを言っていこうと思う。どうぞ皆さん、引き続きよろしくお願いします。
コミュニケーションディレクター/メディアコンサルタント
境 治
What can I do for you?
sakaiosamu62@gmail.com
@sakaiosamu
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