なんとなく録画した「プロフェッショナル・仕事の流儀」を観た。今回が最終回で、脚本家の遊川和彦氏を取材していた。なんとなく観はじめたら壮絶で、感動して涙がぼろぼろ出て困った。
遊川氏の脚本作品をとくに追ってきたわけではない。TBSで『ママハハ・ブギ』『予備校ブギ』『ADブギ』などを書いていたのをあとで知った。この辺はけっこう観ていた。『十年愛』はちょっと印象的だった。『GTO』も遊川氏だったのだそうだ。
ぼくがはっきり遊川脚本を記憶したのは2000年の『オヤジぃ』だった。田村正和が武骨な父親を演じて共感した。不器用でストイックでちょっと世間からズレた泥臭いキャラクターで、90年代以降のテレビドラマがあまり描かなかったタイプの主人公だった。その泥臭さが”テレビのコード”みたいなものと微妙な違和感を放っていて、それがぼくにはどうにも気になった。
その後、『女王の教室』が話題になり、去年の驚くべき視聴率を獲得した『家政婦のミタ』に至る。
『仕事の流儀』を観て、いくつか驚いた。
テレビのヒット作を生み出す脚本家のイメージは、都心のマンションの仕事場で机に向かって書く姿ではないだろうか。撮影現場にいる職種ではないはずだ。都会的な働き方だというイメージがある。
ところが、『仕事の流儀』では、ちょうど10月からはじまるNHKの朝ドラを遊川氏が書いていて、撮影現場に居る姿が映し出される。こんなに現場にいる脚本家はいないと思う。スタッフや俳優はさぞかしやりにくいだろう。現場にいるだけでなく、演技に対してぶつぶつ言うのだ。時には役者に意見を言っている。演出家はイヤにならないのだろうかと心配になる。
けれど、現場にいるのがなぜかがわかってくる。その場で直すのだ。リハーサルを見て、要らないセリフを削るべきだと感じたり、必要なセリフをその場で考えはじめたりする。すぐさまそれを演出家に話す。また、持ち帰って翌朝まで直しをいれるために悩んだりするらしい。
現場でスタッフや役者と一緒に仕事する脚本家というものを初めて見た。
もうひとつ驚いたこと。『家政婦のミタ』は毎週観ていた。面白かったのだが、最初から気になっていたのが、家族構成と父親のキャラだ。
若い父親に、子供が四人もいる。いまどき四人も子供がいる家族なんてそうとう珍しい。だからといって7人も8人もいる大家族でもない。どうしてよりによって四人なんだ?
それから、父親。いくらなんでも、こんなに父親であることに戸惑い続け、父親であることを放棄しかける男なんて。いびつすぎる。なんでこんな父親なんだ?
答えが、『仕事の流儀』の中で判明する。この家族は、遊川氏の家族なのだ。彼は四人兄弟だったのだ。そして、父親は事業に失敗し、女とともに失踪して家族を捨てた。ドラマの父親は、遊川氏の父親なのだ。
つまり、『家政婦のミタ』はものすごく私的な物語だったのだ。ある意味、彼が自分の家族問題のトラウマと決着をつけるために書かれた物語なのだ。そんなに個人的な想いや過去を、あれほどのエンタテイメントに仕立てるとは。そのしたたかさ、手練手管には脱帽なのだが、あのドラマがあそこまで人びとの心に気になるものになり、大ヒットになったのは、遊川和彦の個人的なものをさらけ出しきったからだとも言える。
創造することとは、こんな風に、血へどを吐きながら、身を削る作業なのだ。忘れていたよ。大切なことを、もう一度思い出させてもらった。ソーシャルだなんだとか言って、作り手と受け手の境界が無くなるとか言って、でもやっぱり創造することは特別な作業だし、そうそう真似できることでもない。そういう作り手へのリスペクト、作る作業への尊敬を忘れるわけには行かない。
番組は、遊川氏が、こんどの朝ドラのヒロインを演じる夏菜を追い込むように演技に納得しない様子を映し出す。追い込むようではあるけれど、それは決して、高いところから見下ろして「ふん、そうじゃないよ」と侮蔑的に言うのではない。遊川氏は若い女優と一緒に悩んでいた。ともに追い込まれていた。役者と一緒にもがくのだ、この脚本家は。そして答えを現場でスタッフとともに見つける。最後に夏菜がとにかく演じてみたらうまくいった。良かったじゃないかと遊川氏が声をかけると涙をこぼす夏菜。
途中で、これまでに遊川作品を演じた菅野美穂と天海祐希が語る部分がある。彼女たちは遊川氏とたたかってきたのだ。遊川氏とともにもがくことは、彼とたたかうことでもあり、それがともに創造することなのだ。だから決して脚本家が一方的に答えを持っていてそれを教えるわけではなく、ともにたたかって現場で答えを見つけているのだ。たたかった苦しさと楽しさを経験しているから、この二人の女優は遊川氏との仕事について語ることができる。
最後に遊川氏は、脚本とは何かと問われて答える。「愛だよ」。それがこの番組を通してよくわかった。伝わった。愛の中身が感じとれた。
血へどを吐いて、身を削って、まだまだぼくたちも何かを生み出そうとしなければならない。そういう勇気を遊川氏からもらった。
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