長いものが読めなくなってきた〜コンテンツ消費の夕暮れ〜

今日は知人の誘いで情報通信学会主催の「第30回情報通信ビジネス懇談会」という勉強会に行ってきた。NHK出版の編集者、松島倫明さんという方の発表だったのだけど、松島さんは『フリー』『シェア』『パブリック』を編集した方だ。テーマは、読書の未来、ってこと。

かなり刺激的で、書籍だけでなくコンテンツ全般に通じる話だったと思う。本を著作するとか、それを所有するとかの概念が急激に変化しつつあるという話。

本棚の悦楽、ってあるよね。自分が読んできた本がずらーっと並んでいて、それを見ているだけで自分の人生と知性が一覧できている、というような。でも松島氏が紹介している概念は、そういう読書家のこれまでの悦楽を台無しにするようなことだ。出版する際、フリーミアムでは第一巻だけ無料にする、とか、本をひとりで所有せずに”シェア”してもいいかも、とか、読書体験を共有するためにソーシャルリーディングというやり方ができている、とか。旧来の教養人ががっかりするようなことばかりだ。

でも確かに、ぼく自身にとってもコンテンツとの接し方が変わってきている。

もう本を棚に並べて悦に入ったりしなくなった。それどころか、どんどん売り払っている。入りきらないというのもある。でも、本を棚に並べることを楽しいと感じなくなったのだ。邪魔で邪魔で仕方ないと思う。そして、このごろは、やたらと買うのは控えている。

読まないんだ。”積ん読”状態なんだけど、前はそれはそれで楽しんでいたのに、このごろは「えーい、なんでおれは読まないのに買っちゃったんだよ」と苛つくようになった。余計なものを持っているのが不快になってきたのだ。

朝、通勤電車の中でTwitterやFacebookで情報収集する。面白そうな記事やブログをチェックして、会社に着いたら読む。読む。読む。読んでも読んでも興味深い記事、読むべきだぞなブログがどんどん出てくる。読む。読む。・・・でも、ものすごいスピードで流し読みだ。ちゃんとすべての文字に目を通してなんかない。だいたいね、だいたいわかった。はい、次!そんな勢いだ。

長い記事がどうも最近、ちゃんと読めなくなってる気がする。

土日は映画を見るのが長年の習慣だった。土曜の夜に、DVDなどを観る。日曜日に子供を誘って映画館で観る。

こないだの土曜日、AppleTVを起ち上げて、どれを見ようか、だらだらチェックして回った。これ、観たいかな。これ、こないだ観ようと思ったやつ、今晩観ようかな。うんうん、VODってホントに素晴らしい!観たい時、いつでも観ることできるね。

でも、”これ!”という気分になれない。そこがいつも難しい。映画大好きだから、観たらまず観たことに満足する。だからホントはどれ観てもいいんだ。でもやっぱり”これ!”という気分になって観たい。AppleTVにはユーザーのコメントがついている。それを参考にしようとするのだけど、4つのコメントのうち2つがけなしてると、観てはいかんのではないかと思ってしまう。そうすると、”これ!”になかなかならない。

いろいろ観ていると『SF巨大生物の島』というのがあった。これは!ずいぶん古い映画で、小学校時代にテレビで観た記憶がある。もう40年近く昔だ。

レリーハウゼンという特撮の大家がいて、コマ撮りでいろんな怪物を動かして見せた。そんな作品のひとつで、無人島にたどり着いた一行が、巨大なカニや怪鳥、どでかい蜂に襲われる。ヴェルヌの原作で、『海底二万マイル』のネモ船長も出てくる。その登場シーンでは奇妙な潜水服を着ていて、子供の頃ものすごくインパクトを受けた。

そんな強烈な記憶の映画なので”これ!”となった。観はじめるのだけど、その時点で夜中になっている。選ぶのに30分以上かけてしまったからだ。そこで、早送りをガンガンかけて、自分が覚えているシーンを選んで観て行く。なるほど、記憶ではこうだったけど、ちがったんだな。そんなことを確かめるためだけに映画を観ている。

あっという間に終わってしまった。

意外にまだ時間があるなと、今度はPlayStation3を起動し、huluを起ち上げる。そして、一話ずつ観ている往年のテレビシリーズの「スパイ大作戦』を観はじめた。若い人は知らないだろうけど、『ミッション・インポシブル』はこれの映画化で、もうとにかく面白いんだ。

・・・あれ?なんだろう、この生活?子供の頃の映画やドラマを観て、何やってんの?映画大好きじゃなかったっけ?

コンテンツを消費する。そういう生活文化が、大きく変わろうとしているんじゃないか。

松島氏の話にあったように、本は所有しないのかもしれない。本棚は”読書メーター”でバーチャルで済むのかもしれない。そのうち”本”というまとまりもどうでもよくなるのかもしれない。ぼくが『SF巨大生物の島』を早送りで観たり、通勤電車でブログや記事を斜め読みにするように、読書だの音楽鑑賞だのが、もっと慌ただしくドタバタしたものになるのかもしれない。

映像でつづる物語(=映画)が”2時間前後”というフレームを持つのは、映画館での映画鑑賞が、デートだの家族での買い物だのとセットで楽しむのに適していたからであって、自宅で夜中に視聴するにはもっと短い方がいいのだ、きっと。そのうち、通勤電車の中でぱぱっと映画を観るのでと、5分が基準になったりするのかも。

そうやってコンテンツは断片化しようとしているのだろう。そうするとぼくたちの思考までバラバラになってしまうのか?300ページにまとまるような思考はもうできないし、そんな思考は邪魔でしかないのかもしれない。300ページを読み終わる間にムーアの法則でデジタル機器はまた様変わりするのだろうから。

それでいいのか、悪いのかはわからない。でもそういう傾向はいま、進行しているのだと思うなあ。少なくとも、ぼくにはね・・・

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