昨日書いたように、『キュレーションの時代』については、「読んだ後の人」向けの記事を近々書くよ。で、今日はFacebookの話に戻るね。
ぼくのFacebook生活は快調に進んでいるというか。お友達は現在(2011年2月8日)64人。いまは、リアルでも知ってる人か、Twitterなどでけっこうやりとりして人物像がつかめている人に絞ってお友達承認をしている。申請したけど返事ないじゃないかって人もいると思うんだけど、ごめんなさい、そういうルールでいまんとこやってます。
それぐらいの人数で、けっこうニュースフィードは頻繁に新しいネタが流れてくる。これはつまり、ぼくのお友達の皆さんが活発にFacebookを使っているからだ。Twitterの方はフォロー数が1800を超えていて、それぐらいになるともう、Tweetが急流のように流れていく。とても追いきれない。それに比べると、Facebookの方は落ち着いてみんなの書き込みが読めていいあんばいだ。
それと、ファンページあらためFacebookページ。前に書いた通り、このブログの読者の方向けにFacebook上にページを作成した(してもらった)。「境塾」という名前で、独自URLも取得できた。25人以上集まればそれが可能。ぼくのページもhttp://www.facebook.com/SAKAIjyuku というURLを取得した。
このページを訪れた人が興味を持ってくれて「いいね!」ボタンを押すと、”会員”的な扱いになる。と言っても、ページで何らか更新されたら、その人のニュースフィードに情報が出てくるだけなんだけど。
このブログの左、いまたぶんちょうどこの左にある枠の中の文章をクリックするとFacebookの境塾ページに飛ぶので、よかったら「いいね!」ボタンを押してみてね。
まあとにかく、そんな風にぼくのFacebook生活は楽しく進んでいる。でも、まだまだわからない点や整理できないところもある。
まず、皆さんとのコミュニケーションの窓があちこちにあいているので、あちこちをチェックする必要が出てきた。TwitterでRTもらったり、Facebookのニュースフィード上でコメントもらったり、境塾Facebookページでもコメントもらったり。通常のメールのやり取りも含めて、ちょい混乱しかねない。実はブログのコメント欄やめたのも、この理由があるのだ。窓をひとつ減らそうという意図。
”窓”とも関連するのだけど、Twitterとの使い分けではまだまだ整理がついていない。それこそ、Twitterで知りあったけど直接お会いしたし、という方々とのやりとりはかなりFacebookに移行した。でもFacebookに積極的でない人も多いし、Twitterの方がこっちもまだまだ慣れてるのでベースになっている。でももう少し整理しないとわけわかんなくなりかねないぞ。
ある人に連絡するのに、TwitterでDMするか、Facebookでメッセージ送るか、ふつうにメールを出すか・・・なんとなくその場その場で使い分けているだけだ。いかんのじゃないか、おれ?
そういう、Twitterとの使い分けで悩んでいるうち、そもそもFacebookってなんだ?という気持ちになってくる。これって必要なのか?
ニュースフィードでみんなの書き込みを読むなら、Twitterで”お友達”のリストを作れば済んだんじゃないか?メッセージはもちろん、メールでもできる。Facebookページはブログ作ったりすればいいし、写真や動画の見せっこならFlickrやYouTubeでずっと前からできていた。
Facebookってホントに必要なのか?なくても同じことできるサ−ビスやツールは世界中にいっぱいあるじゃないか!
・・・いや、やっぱりそうじゃないんだな。プラットフォームがひとつあって、そこの上で”お友達”を軸にいろんなことができる。だからぼくたちは(ぼくたち6億人は!)Facebookを使うんだ。必要なんだ。ないと困るんだ。
FacebookはまるでひとつのOSのようなものだ。インフラなのだ。
必要じゃないのに、必要なインフラ。そこがFacebookの面白さであり、不思議さであり、新しさなんだろうね・・・
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