おいらとあんたの世界戦略・その4

何を言いたいのかよくわからなかった”おいらとあんたの世界戦略”も4回目。前回はグーグルとウォール街にモノづくりは負けたんだ、なんて暗いウジウジした話を書いちゃったけど、そろそろ前向きな話に切り替えるよ。

前回の最後に書いた「日本は、コンテンツ産業で世界と勝負だ!ってことなんだ。」という宣言は、中国にいじめられたから空元気で言ったんじゃない。それなりの根拠があって言っているんだよ。

前回取り上げた野口悠紀雄先生の本によれば、日本の工業化は70年代に完成された。

70年代前半は確かに、日本が高度成長を成し遂げたと言える出来事がある。1974年、長嶋茂雄が現役を引退した。同じ年、テレビ広告費が新聞広告費を超えた。これは象徴的な話だ。日本のメディアの近代化が完成されたのだ。

それから40年弱経っている。その間にバブルが到来し、それがはじけ、その後失われた十年が二十年に延長されたけど、少なくともこれまでは、”豊かな国、ニッポン”だった。40年間「おれたちなかなか豊かだぜ」と言えたのはかなりすごいことだったんじゃないだろうか。

そして日本のコンテンツ力、クリエイティビティはその間に大きく進歩した、と言えるんじゃないだろうか。

ぼくが中高生のバンド少年だった頃、クリエイションというグループがあった。70年代半ばのことだ。当時は日本のロック界の雄で、最先端の存在だった。ブルースロックを日本で初めてはっきりと世に打ち出し、商業的にも成功した。

リーダーの竹田和夫のギターの弾き方にぼくはかなり影響され、徐々にブルースそのものに興味を持つようになったもんだ。

クリエイションの楽曲は、その黄金時代、すべて英語だった。竹田和夫はインタビューに答えてこう言った。「日本語はロックに乗らない」そうなのかー、そうなんだー、日本語ではロックできないんだー。ぼくは素直にそう受けとめた。

サザンオールスターズという奇妙なバンドが登場し、「勝手にシンドバッド」というコミックソングのような曲で一世を風靡した。RCサクセションというバンドが変な声だけど印象的なボーカリスト清志郎と共に登場し、世間の注目を浴びた。彼らは日本語でロックを唄った。竹田和夫の言う「日本語はロックに乗らない」というストイックな考え方を勢いで吹き飛ばした。

80年代後半に「イカすバンド天国」という冗談のようなテレビ番組がはじまった。アマチュアバンドの勝ち抜き歌合戦みたいなコンセプトでどう見ても最初は冗談だった。その中からフライングキッズというバンドが登場してデビューした。それに続いて次々に本格的なロックバンドが世に出ていった。気がつくとJ-POPなどと呼ばれ、普通に日本語で唄う、でも明らかにロックミュージック、いや、もっと進化した音楽が生まれていった。

ぼくが大学生の頃までは、音楽にこだわる若者は洋楽しか聞かなかった。日本の音楽はほぼ”歌謡曲”でロックとは言えなかった。コード進行も単純でわかりやすいけど観賞の対象とは考えなかった。それがJ-POPの時代になるとかなり音楽的に高いレベルの楽曲が、日本人の手で生み出され、日本人が演奏して、日本人が日常的に聞くことになった。

音楽というジャンルのクリエイティビティがレベルアップしたのだ。この40年の間に。

それは、この国が豊かだったからだ。

別の話をしよう。二週間ほど前、NHKの「歴史秘話ヒストリア」を見た。「ウルトラマンと沖縄〜脚本家・金城哲夫の見果てぬ夢〜」というサブタイトルの回。ぼくはもろにウルトラマン世代で、大まかには知っていたのだけど、あらためて、円谷プロでウルトラマン誕生に関わった脚本家・金城哲夫の物語を見て、感動した。

ウルトラマンとウルトラセブン、とくに後者には、子供向けにしては強いテーマ性を含んだエピソードが数多くある。人間と宇宙人や怪獣の間で悩むヒーローの姿は、沖縄と日本の間で何かを訴えたかった金城哲夫の想いが反映されているのだ。それは当時幼かったぼくの心にも何か響くものがあった。

ウルトラマンとウルトラセブンは、そうしたテーマ性を持つ物語の要素もあるが、そもそもウルトラマンや怪獣たちのデザインはいま見ても相当にレベルが高いと思う。実際、成田亨という美術作家がその時期に円谷プロに在籍し、その多くを生み出したのだ。

成田も金城もウルトラマンに関わった当時は若者だ。成田は30代、金城に至っては20代後半だった。そうした才能ある若者がテレビ創成期に関わり、その能力を発揮してウルトラマンが誕生した。

日本のマスメディアで展開されたひとつひとつの番組や企画は、こうした若い才能たちの切磋琢磨がもたらしていったのだろう。

ウルトラマンをはじめとするそうした切磋琢磨の成果を見てぼくたちは育ち、やがて文化を生み出す側になっていった。いま、映画やテレビなどのメディアで活躍しているのは、金城や成田の子供たちなのだ。

ぼくたちは、そうした先人たちのおかげで、子供の頃からレベルの高い文化に日常的に触れて育ち、自らのクリエイティビティを育んできたのだ。そしてさらに豊かで多彩な文化を生み出すことができるようになったのだ。

ずいぶん前にぼくは、「アバター」への日本文化の影響について書いたことがある。ぼくもある方のコメントで気づいたのだけど、いろんなところで多くの人がこの点は指摘している。

ハリウッドは、日本をリスペクトしてくれているんだ。それは「マトリックス」でも言われたことだけど、最近はハリウッド映画にはっきりと日本文化の影響を見てとれる。そればかりか、日本のアニメやゲームが普通にハリウッドで映画化されてもいる。

ぼくたちは中国に、ひょっとしたらモノづくりでは負けていくのかもしれない。韓国にはすでに負けているのかもしれない。けれど、コンテンツ力では負けてなんかいない。中国はこと、クリエイティブな領域では日本へのリスペクトを持ってくれている。

モノづくりで、製造業でかなわなくなったとしても、クリエイティブな領域で尊敬してもらえるのなら、それは素敵なことではないだろうか?胸を張っていいことではないだろうか?

そう、ぼくたちは、胸を張ろう。日本は素晴らしい国なんだぜ!ハリウッドもリスペクトしてくれる文化を生み出してきたんだぜ!そう宣言して、前を向こう。自信をなくす必要なんか、ないんだ!

という、前向きな気分で、まだまだつづくよ、”おいらとあんたの世界戦略”・・・

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コメント

  1. イカ天のアマチュアから練って、練って、がんばってくる子達はすごくクリエイティブな方向にがんばる一方。商業的音楽家は、洋楽をいかにぱくるってきて、さくさく曲を作って、いかに儲けるかってのをやってましたね。メジャーのレーベルにいる人たちが平然と、アメチュアでさえやらないようなパクリをくり返して、音楽が、使い捨てられて来たというおぞましいのが、80年代後半から始まった、音楽後退文化です。そのアンチとして、クリエイティブな子達に期待するしかないですね。

  2. Higekuma3 まいど!あまり詳しくはないですが、若い人たちの中から独創的な音楽が生まれてるみたいですね。今は、既存の仕組みが壊れただけで新しい仕組みができてない。だからそういう音楽が世の中に出てこれないけど、そのうち新しい流通ができるんじゃないでしょうか。

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