iPadはぼくらのタコ壺をぶち壊す!〜iPadから見えるコンテンツの未来・その22〜

iPadコンテンツをどう作成するかについて書いてきて、CMSの例も紹介したりした。WIREDやTIMEをiPadで見た時、直感的にCMSだなこれは、と思ったのだけど、TIMEのWoodWingはまさしくそうだった。

CMSについてはまだまだ情報はあって、もう少し調べてからまた書きたい。

ところで、CMS=Contents Management System、と書くと大仰に受けとめたくなるけど、例えばこのブログサービスだって一種のCMSだ。この枠の中にテキスト入れてね、画像はこうやってアップロードしてから指定してね、そしたらこんな見せ方になるからね。テキストや画像などのコンテンツを一定のルールで管理構築する。それがCMSだ。

ブログはこんなにいろんな人が書いているこの国で、もっとちゃんとしたCMSを企業が導入するのは遅れていた。遅れていたのは、他ならぬコンテンツ業界で。コンテンツを制作する業界で、コンテンツを効率良くマネジメントするシステムがあんまり普及してなかった。どゆことやねん?!

実際、CMSは海外の製品がほとんどだ。欧米ではもうとっくに多様なコンテンツ制作にCMSが導入されている。ネットワーク製品ともうまく組み合わせて(というかCMSはサーバー込みで使うものだったりするし)パッパパッパとコンテンツを制作している。でもって、国をまたいでの制作なんかもぐんぐん進んでいる。

気がつくと、世界のコンテンツ業界のサーキュレーションの中で、日本だけが取り残されようとしている。

ハリウッドの企画をヨーロッパで撮影しポストプロダクションはニュージーランド、そしてCGの人海作業は中国で!そんなことがどんどん行われている。日本の連中も優秀だから使いたいけど、あいつらつながってないからさ。ここでいう”つながってない”とは、ネットワーク製品もCMSも導入してない上に、言葉も通じないから、つながってない、ってわけ。

何しろぼくらは、国内のコンテンツ業界でさえも細分化され、タコ壺化し、つながってなかった。そしてそれぞれが、伝統と歴史にのっとったワークフローで作業していた。交流なんて、してなかった。ほとんどまったく!

iPadコンテンツの作成を具体的に考えていった時、ぼくたちはそのことにようやく気づきはじめた。ぼくがiPadについて書きはじめた「iPadから見えるコンテンツの未来・その1」の中で言ったように”iPadはコンテンツのジャンル、表現の分類を無意味化する”のだから。これまでタコ壺化していたグラフィックデザイン、WEBデザイン、映像制作(その中でもCM制作と番組制作は全然ちがう!)といった各カテゴリーの叡知とノウハウを結集しなくてはならない。さらに、プログラミングだITだ、という人たちの力も必要だ。

ぼくたちはどうしてこんなにタコ壺化し、またCMSのようなITの導入が遅れていたのか?欧米では、そしていまや中国では、ぐいぐい進んでいたというのに。

ぼくはそこに、”この二十年間、この国はまったく進歩してこなかった”ことの鍵があると思う。

それは例えば、経営の不在、ということでもあるのだろう。IT化とは、社員全員がパソコンで仕事するっちゅうこっちゃろ?という経営層の体たらくぶりも大きかったのだと思う。システム導入といえば、大手にまかせりゃええんじゃろうが、だってうちは一流メディア企業じゃろうが、と、自分たちの思考をシステマティックにしようとはしてこなかった。そのつけが、いまに至っている。

でもそれだけだろうか?そうなのよ、上が悪いのよ、上層部がマヌケなのよ。そうかもしれないけど、それだけだろうか?

ぼくたち自身も、同じくらいぬるぬるやってきたからではないだろうか?

CMSを導入したりなどのIT化は、ワークフローの変更を迫る。言わば”働き方”を変えねばならなくなる。そしてどうしても、どこかに”おれたちが大事にしてきたこと”を無下に捨て去れ、と迫られる。働き方を変えるのはとても面倒なことだし、大事なことを捨て去るのはすごく傷つくことでもある。そんなのいやだ!そうやってぼくたち自身が、進歩を拒んできたのではないだろうか?そして結局いままで通りのやり方を守ってきて、”徹夜したおれはえらい!”と自分で自分に言い聞かせてきたのではないかな?

ぼくたちはいまiPadを前にし、ここでなにをやるべきか半ばぼう然としながら考えはじめた。考えはじめたことをつぶやいていると、気がつけばいろんな人たちが反応してくれる。なんと!その人たちは、これまで交流のなかったあっちの分野、こっちの世界の人たちだった。みんな同じようにiPadを前にして考えはじめている。なんだ、ぼくたちの世界は、なんと小さく広かったんだ?!ほんの数メートル、いままでより広くネットの中で歩き回るだけで、実に多様な人たちと問題を共有できるんじゃないか。

iPadによってぼくたちのタコ壺はぶち壊され、周りの海をつぶやきながら泳ぎはじめてみると、すっごく気持ちいい。タコ壺の中にいないと生きていけないと思い込んでいたけれど、なんだ、外に出た方がずっとのびのび生きていけそうじゃないか。

というわけで、iPadを片手にぼくはすーいすーいと泳いでいるよ。あ、そうなんだね、あなたも、タコ壺を出たんだね。ちょっと軽く、一緒に泳いでみる?

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コメント

  1. 誰がこんなことにしてしまったのかわからないんですが、つぶしのきかない独自性というものを、持て。みたいな風潮が日本をいつからか支配している。「世界で一つだけの花」とかがはやるのもそうだ。それが認められるのは、compatible but not irreplaceableであって、初めて使ってもらえるのに。世界標準であって、独自性がある(他のものに置き換えることができない)で、はじめて、その人に頼みたい人があらわれる。ということを、あまりに軽視している。著作権がクリアじゃないとか、書類処理に時間がかかるとか、誰と話したらいいのかがよくわからないとか、つなぐのに、ものすごく手順がいるとか。日本の世界標準でない部分は、日本の対応の悪さを意味する。6年ほど前、アメリカのショーに出席した時、カナダ人、アメリカ人、韓国人、シンガポール人のビジネスマンが、メール対応をすなわち仕事の指示等を、blueberryで速攻でやっているのに対し、日本からの出張組は、いちいち、ホテルに戻ってからメールしてた。すなわち、日本人だけ、半日以上、対応が遅いということに気づいて、NTT-Docomoが、国際競争力を奪ってたんだな。ずっと。アジアに負けて行ってるガラガラという音を聞いた気がした。

  2. 特定企業内とか特定市場内といったクローズドな世界に最適化された歯車はもはや斜陽で、オープンな世界の標準・ルールに沿った歯車にならざるを得なくなったと。(役割自体が不要になる歯車領域もあるかも)仮に日本市場がずっと閉じていれば旧来型歯車も生き残れたかもしれませんが、Apple,Google,Amazon等に開国させられちゃったのでもう後戻りできませんね。

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