正しいことを主張する難しさ〜改革をうまく着地させるには〜

昔から、組織に上手くなじめない。

ぼくは自分で言うのもなんだが、かなり”正しいことが言える”人間だ。”言える”には二つの意味があって、ひとつには”正しいことを見出して主張を形成できる”こと。これ自体は、けっこうたくさんの人ができるだろう。問題を発見する能力と、解決策を導き出す能力とがあればいい。

問題は、もうひとつの方だ。ヒエラルキーに臆せず、正しいことを実際に口に出して主張できる、という意味の”言える”だ。これがいいところなのか悪いところなのか。自分でもよくわからない。

とにかく相手がどんな権力者であったとしても言えてしまう。昔はそれを、後先考えずに口に出していた。そして”みんなどうして言わないんだろう?”なんて思っていた。みんなが気にする、とくに上との人間関係を、ぼくはほとんど気にしないのだ。そういう人間は珍しいようだ。逆にぼくには、なぜそんなにヒエラルキーを気にするのかいつもわからない。

大学を出て最初に入った会社では、それがちっとも受け入れられなかった。味方になってくれる人もいたが、なんとなく”浮いて”いたようだ。最近、その会社の元上司先輩に会うたびに”お前はホントにケンカばっかりするヤツだったなー”などと言われる。

正しいことを主張するのは難しい。言い方やタイミング、相手をまちがうと、せっかくの正しい主張も生きない。だからと言って言わないでいるとその組織がただただ悪い方向に行ってしまうだけだ。

20代の頃よりもずっと言い方が上手くなったつもりだが、やはりまだまだ下手くそだ。

”損するぞ”とよく言われる。確かになあ、とそのたびに思う。

だがぼくはしょせん、組織に長くいる人間ではない。変わっていく自分が面白くて仕方ない、と考えるクチだから。

残念なのは、その組織にとってほんとうに正しいことを主張して、受け入れられずに、そこがダメになってしまうことだ。せっかく問題点とその解決策がぼくにはわかったのに、上手く伝わらずにその主張が無駄になってしまう。”言ってることは正しいがその言い方は何だ!”と叱られたりする。そして、その叱った人は組織にいつづけて、困ったことになったりするようだ。

なんだかもったいないのだ。結局、損するのは、その人だったりするわけだ。ぼくの方は、短期的には損しても、長期的には損はしない。だって別にその組織にいなくても生きていけるからだ。むしろ得難い体験をしてまた問題解決の能力値が上がる。結果的にはぼくは得してしまっているわけだ。

そんなパラドックスめいたこと言って満足してもしょうがない。ぼくにしても、組織を改革したくて主張しているわけで、空しさだけが残るのだから。

ああ、ぼくはどうしたらいいのかね?誰か、”正しいことが言える”ための正しい方法論をぼくに教えてくれないだろうか・・・

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コメント

  1. サラリーマン辞めてないんだよなあ…。そういうところは似ているのかも。

  2. 今の原油高とか、それから将来の資源のことについて考えたとしたらディーゼルとかハイブリットとか出せる開発力を持っているなら出しちゃえばいいのにって思うだけど今の今、世の中で販売している全てのクルマがハイブリットになったら今道路を走っている全てのクルマや大事に使ってもらっているクルマはどういうことになるんだろう。。って毎日そんなことを考えていますよ。たまにはお茶でも飲みにいらしてください。

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