この週末のぼくと、ぼくの奥さんとの会話。(面白くするために多少デフォルメしてある)
「あなた、これ見て。去年の家計をまとめてみたのよ」
「ん?ええー?!こんなことになってるの?」
「そうよ、こんなことになってるの」
「それにぼくの給料もあんなことになったしねえ」
「そう。それから来年受験だし」
「教育費ってかかるもんだねえー」
「そう、だから生命保険とか、ケータイ料金とか、あなたのお小遣い、見直さないとね」
「ええー?!それはちょっと・・・」
「新聞もとるのやめた方がいいかしら・・・日経って高いわよね。月々4300円よ」
「ええー?!」
「あなた最近、朝起きるのギリギリだから読んでないじゃない?」
「えーっと、でも日経は仕事に必要なんだよ」
「あら、だっていまはネットでたいがいの記事読めるんでしょ?」
「それはそうだけど」
「でも時々学校で、新聞記事を読んで文章を書かせる宿題がでるのよね。それどうしよう・・・」
「そっちが大事なんすか?」
(以上、これを読むとぼくの奥さんはものすごくクールな人みたいだけど、そうとうデフォルメしてあるからね)
たぶん日本中の家庭でこんな会話がいま交わされてるんじゃないのかな。新聞業界は広告出稿が急減して大ピンチだけど、家計から見離される、つまり奥さんたちから見離されるという危機も、いま、そこにある、わけだ。
こないだの記事でぼくは、1000円増しで電子版が読めるなら悪くないねと書いたけど、そんな甘いこと言ってる場合じゃなかったよ。
悪くないねと書いたのは、紙の新聞をとるのは当り前という前提だった。紙の新聞をやめることを自分が検討するなんてことは想像もしていなかったわけ。でも奥さんたちは、紙と電子版を比べるし、紙をやめようかと真剣に考えている。そこにお父さんのお小遣いも影響するのだから、お父さんも考えざるをえないわけだ。
奥さんたちに、紙に4300円払っている上に電子版で1000円追加なんて言ったら激怒されるだろう。電子版があるなら紙はやめちゃいなさいと叱られる。
日経のメニューは、紙が4300円、紙の読者は1000円増しで電子版も読める。そして電子版のみだと4000円だという。
奥さんにこれを言おうものなら、「電子版だけで4000円なんてありえないわよ!」とぶち切れてしまうにちがいない。「だったら会社で読めばいいでしょ!」と言い出すだろう。
新聞購読料は、電気やガス代、電話やケータイ料金、インターネット接続料金、ケーブルテレビ料金、などと並べられて闘うことになるのだ。インターネットにつなぐためにお金払ってて、新聞の記事はネットで読めるのに、4000円も払う理由が無くなりつつある。
4000円は高い。
たぶんそこには、紙の生き残りにかかるコストも含めて計算された結果が反映されているのだろう。そこは日経さん、甘いかもしれまへんで。世の中の奥さん方を、なめたらあかんのや。新聞は必ずとるもんや、っちゅう常識はもう、リーマンショック以降なくなりつつあるんやでー・・・
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たしかに、今はある程度のニュースを知るにはネットとテレビがあれば、新聞はいらなくなってきているのかもしれませんね。ただ、ネットの記事はまだ見出しに気が生えた程度の表層的なもので、専門的な解説は紙面の方がまだ充実していると思います。これからは、新聞も電子化されるにあたり、社会面、総合面、金融面、文化面などがパッケージになった形態ではなく、読みたい記事ごとに(ペイパービューのような形で)課金されていく形態になっていくんでしょうか。すごく気になるところです。
日経って、そんなに高かったのですね。わが家の新聞購読料は1か月1950円です。新聞記事も、あまり信用はできないので、一家言持った専門家が、どんどんネットへ出てきて解説してくださるようになれば、やっぱり「紙」は要らなくなるかもしれません。