ところでこのブログのタイトルの変化に気づいた?「クリエイティブビジネス論〜焼け跡に光を灯そう〜」そうそう、サブタイトルをつけたのでした。
Twitter上でね、「焼け跡ブログ読んだよ」と言われてね。ああ焼け跡ブログって、いいなあと。「クリエイティブビジネス論」と「焼け跡」というワードがどう結びつくか全然わかりにくいけど、でもなんとなく”感じる”んじゃないかと。いちおう、「焼け跡になりつつあるこの国のクリエイティブ業界で」というリード文で説明がついていないでもない。
このブログでは「これから大変なことになる」という警鐘ばかりカンカンカンと鳴らしてきたのだけど、いま焼け跡を実感している中ではむしろ、だったらこれからどうしよう、の方を明るく書くべきじゃないかなと、いうことで。
まあその話はまた別の機会に。
今日の夕方、打合せもすんで帰ろうかなーと思いつつTwitterのタイムラインを眺めていたら、ん?なんか実況してる人がいるぞ、と気づいた。こっちをクリック、ここを開いて、とやってたら、どうやら日経新聞電子版の記者発表をやっているらしいぞ。Twitterで実況をしている人がいる上に、Ustream生中継やるらしい。ってことで、生で見ちゃった。帰りが遅くなったよ、すんまそん、妻。
Ust中継で当然、Twitter生タイムラインとセットで視聴。記者発表と言うより、「ネット時代のメディアとジャーナリズム」と題したパネルディスカッションということで、錚々たるみなさんが議論していた。まあこの記事読んだり検索したりしてみなはれ。
そのディスカッションの内容はこの手の催しとしてはなかなかのハイブローで生々しいものだった。参加者は決して日経の御用評論家ではなく、あからさまなマスメディア批判、大新聞批判も展開されたりして、それがこの電子版デビューに対する日経の意気込みや自信を感じさせてくれた。
オンライン版経済紙のデビューの催しを、Ust & Twitterで生で視聴できたのはかなり貴重だしエポックメイキングなものを感じることができたよ。しかもそれを知ったのもTwitterだったわけでさ。”そういう時代”なんだね。
さてぼくは1月25日の記事でこの日経電子版の概要を伝え、けっこういいんじゃないかと書いた。そしてそのあと2月1日の記事では値段が厳しくないかい?てなことを書いた。
果たしてどうなるだろう。
ぼくはこの電子版の登場が、かえって厳しい状況を引き起こす予感がしている。電子版にとってというより、日経新聞全体にとってだ。
つまり、この機会に各家庭が新聞そのもののコストを問い直してしまうんじゃないだろうかと思うんだ。そして問い直されたら、電子版をとるかどうかの前に、紙の新聞をやめちゃう世帯が続出しないかと。
実はいまのぼくがまさしくそんな気分なんだもん。
パネルディスカッションでも誰かが言ってたけど、新聞は習慣に過ぎない。例えば引越した時、電気やガス、電話なんかを申込み、あと新聞も連絡しなきゃと。”そういうもの”だったでしょ?日経新聞は4300円とちょっと高いんだけど、高いからとらない、という感覚はなかった。
ところが、電子版登場のニュースに接すると、紙を購読してるとプラス1000円なのか、電子版のみだと4000円か、とか検討する。必ずする。するとそこで、紙だけだといまも4300円毎月払っている事実に気づく。紙の4300円に1000円プラスすると5300円か、やっぱ高いな。電子版のみ4000円にするか、すると紙をやめることになるのか。そして紙だけだと4300円か・・・あれ?いままで毎月4300円払ってきたのって、なんでだっけ・・・そんな気分に襲われる。
そこで例えば「新聞テレビ断末魔」なんていう週刊東洋経済の表紙が頭に浮かんだりする。あちこちのメディアから、マスメディアはもうおしまいだぜ、というムードがいま伝搬しつつある。
えーっと、いっそ紙も電子版もなしにすっか、だって断末魔なんだろ?そんな結論に至ってしまう可能性がけっこう高いんじゃないか。何度も言うけど、ぼくがいまそうだから。何しろiPhoneで月々5000円ぐらい出て行くのだから。どっちとるかと聞かれたら、迷わずiPhoneに決まってる!
電子版のみで2000円くらいにはせめて設定しないとまずかったのではないか。でもおそらく、”紙は守る”という前提で料金プランを考えたんじゃないだろうか。だとしたらそこはまちがいで、”紙はいずれなくなる”という前提で考えなければならなかったのではないか。
あ、なんか今日はちょっと硬派な感覚になってしまった。せっかく”焼け跡”というサブタイトルもつけたのに、”焼け跡だぜゴーゴー”みたいな勢いがなかったね。そっち方面な記事は、また明日ね・・・
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おっしゃる通り。つまり大局観がないということだと思う。グローバル観もないが。ウオールストリート・ジャーナルだってタダで配信しているんだよ。http://asia.wsj.com/home-pageつまり、この新聞の守旧派がリードしているってことだと思う。いったん「焼け跡」になりゃいいんだ。
値付けの根拠は、「紙の新聞の部数に影響を与えないことを前提にした価格設定」ということらしいですから、何の戦略も展望も勝算も無いということが白日の下にさらされてしまったということですね。おまけに、フラッシュを使うので、iPhoneにもiPadにも対応しないということです。
hhoshibaさん、「焼け跡」になりゃいいんだ、ってすごいおっしゃり方。kasttbsさんも、頭悪いだなんて。お二方とも、痛烈ですねえ。(^^;ぼくはでも、期待はしてるんですよ。電子版チームは頑張ったんだと思う。いま考えられること、は盛り込んであるみたいです。ただ個人的にはお金払わないだろうなあ・・・会社で使ってみるかな・・・申請しよう。あはは
「金がかかるから」、若者が新聞を読まない理由トップにhttp://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20409273,00.htmちなみに私は今月から実験的に、紙の新聞を取るのをやめました。
ウォールは失敗してる真っ最中、、、新聞読んでないからわからなかったのでしょうか、数年前なら適切コメント。いずれiPhoneで見れるようになるかも、、、むしろiPhone(appleの発想)をばかにしすぎている気がします、SDKって発想がapple発展の根幹かも。新聞は高い。テレビが普及してなお新聞がかろうじて生き残っているのはなぜ?ネット特性を生かした期待の市民ジャーナリズム(記者)が本気で衰退する中、報道やジャーナリズムは不要になるでしょうか?ネットの個人発信とかTVがその役割?通信社が頼み?民主主義の土台に、もはやジャーナリズムは不要?考えさせられますね。でも、新聞だから、とか、TVだから、とか、2chだから、とか、週刊誌だから、とか、お金がもったいないから、とか、知り合いの話だから、とか。媒体(or発信源)にとらわれてアンテナを張ることをやめる、、、なんか違和感です。アンテナを張ることと「調べること」は違う気がします。自分のアンテナ張り巡らせることに、費用対効果はそこまで重要でしょうか?面白そうな人と飲みにいけるのに行くお店の予算を見てから「いやお金もったいないから遠慮します」ってい言っているってこと。記者志望のいち学生ですが、ググったらここに来たので足跡。勤勉さ(知ろうとすること含め)を失ったら、中国の日本省にいずれなっちゃうでしょうね。そういう人ばかりなら記者目指す意味はないかも。(このコメントはこのブログというより「コメント」に対して思ったことです、コメントした方に読んでもらいたいかも)まじめ、まじめ過ぎるコメントでごめんなさい。ちなみに関係者ではないですよ(笑)いろいろ考えながら、試行錯誤しながら生きていきたいものですね。
通りすがりさん、コメントありがとう。このブログではなく、先にコメントしたみなさんへ、ってことだけど、ブログの本人としてコメントを返すね。みなさんは別にこの国にジャーナリズムが不要になるなんて言ってないと思うな。みなさんが批判しているのは新聞というシステムが制度疲労を起こしている、と、いうことじゃない?新聞は相対的に”高い”ことになってしまっておるよと。そういう状況をふまえると今回の日経電子版の値付けはいかがなものかと、そういうご意見なんだと思う。費用対効果はすごく重要で、面白そうな人と飲めても銀座の高級クラブで割り勘ねと言われたら躊躇するよ、ぼくは。あははね、相対的に、紙の新聞は費用対効果が悪くなってる。だったら電子版はそこをふまえた価格設定にすべきじゃないか、そういう話。みんなジャーナリズムが不要になるなんてことは言ってない。ついでに、少し前までコトバを生業にしていた人間からすると、あなたの文章は散漫だよ。記者志望なんでしょ?他の人に批判的なこと言う場合はとくに、きちんとまとめた文章にしないと。あ、ごめんね、最後に皮肉めいたこと言って(^^;