1月31日の夜9時から、NHKスペシャル「ママたちが非常事態!?〜最新科学で迫るニッポンの子育て〜」を見た。10日ほど前に放送を知って、期待していた番組だ。子育てで悩むママたちの状況を科学的に分析し解明する企画。その意図は、あなたが悩むのは、あなたのせいじゃないのだからひとりで抱え込まないで、というママたちへの励ましだったにちがいない。
ぼくもリアルタイムでじっくり見て、いろいろ学びもあったし面白かった。なるほどなーと、うちの子どもたちが赤ん坊だった十数年前を思い出して納得したりした。
3部構成になっていて、「ママたちはなぜ孤独で不安になるのか」「赤ちゃんはなぜ夜泣きするのか」「ママたちはどうして夫にイライラするのか」をそれぞれ解明する内容だった。
ぼくにとってとくに印象的だったのは、ママたちの孤独と不安についてのパートだった。これはこのブログで長らく書いてきたことと大いに関係がある。
そもそも、ちょうど二年ほど前になるが、乗り物に赤ちゃんを連れて乗る母親を責める議論があったことについて、それはちょっとおかしいんじゃないかと、何の気なしに書いた記事が発端だった。
これがハフィントンポストに転載されたらものすごくバズって17万いいね!になってしまった。→ハフィントンポスト上の記事
いろんな方から連絡をもらって、あちこちに取材にも行った。自分が書いた記事の反響に、自分が巻き込まれたようなものだ。
→「みんな自分の子供みたいに思える場所〜自主保育・野毛風の子〜」
→「保育の理想は”サービス”とは離れたところにあるはずだ〜たつのこ共同保育所〜」
→「保育士さんたちがきっと世界を変えていく〜イベント型保育活動・asobi基地〜」
→「子供たちがのびのび過ごす時間が、ユートピアなのかもしれない〜ごたごた荘とまごめ共同保育所(映像付き)」
→「クレイジーなひとりの女性が、日本の育児を変えていく。〜子育てシェア・アズママ取材〜」
→「そこでは私たちの未来が作られていた〜赤ちゃん先生プロジェクト見学記〜」
さて番組では、ママたちがなぜ孤独と不安を抱えてしまうかを、こう説明していた。
カメルーン奥地のバカ族(この名前にツッコミ入れたくなるがスルーしてほしい)はかなり人類の原初的な生活をしている。ものすごく子だくさんで生涯に11人子どもを産んだ女性もいる。人類にもっとも近いチンパンジーの母親は5年に一人しか産んで育てられないが、バカ族は毎年くらいの勢いで出産する。人類はこれを可能にしたので類人猿より繁栄したという。
チンパンジーの母親は、自分が産んだ子どもを単独で育てる。だからたくさん産めない。一方バカ族では、たくさんの子どもたちの育児を母親がひとりで抱え込んだりしない。気軽に部族の他の女性に託す。人の子どもも自分の子どものように育てるのが当たり前な状況だ。「共同養育」と番組では呼んでいた。みんなで面倒を見るから、たくさん産んでも育てられるのだ。
さて女性は妊娠するとエストロゲンというホルモンを分泌して安らかな気持ちになれるが、出産するとこれが急減する。だから不安になりがちになるのだが、共同養育をしていれば不安はなくなる。エストロゲンの減少は、共同養育に母親をうながす仕組みではないか、と番組では推測していた。
一方ニッポンの子育ては核家族で、夫も働きづめで共同養育どころではない。母親一人で子育てを背負い込むので孤独になってしまう。人類はそもそも、共同養育で子育てをするように進化論上できているのに、核家族はその摂理に合っていない。そんな内容だった。
番組のこのメッセージを、ぼくが取材してきた上記のママさんたちの活動と照らし合わせると、なるほどなるほど!と何度もうなずいて納得してしまった。
ぼくが取材した自主保育も、共同保育も、asobi基地も、赤ちゃんプロジェクトも、アズママも、どれもが言わばそれぞれなりの「共同養育」だったのだ。ひとりで抱え込むと大変だし精神衛生もよくないから、みんなで一緒にやりましょうよ。ひとつひとつ形は違うが、要するにそういう活動だった。
それぞれの参加者のママさんたちの顔を思い浮かべると、みんなみんな、輝いて楽しそうな表情をしていた。エストロゲンの減少なんのその。みんなで一緒に子どもたちを育てればこんなに毎日が楽しい。そんな空気に包まれていた。
そこには、育児の不安も孤独もない。悩んだら仲間に話せばいいし、行き詰まったら仲間に少しの時間でも子どもを面倒見てもらえばいい。
番組を見て、それがいかに生物たる人間として自然なことかがわかった。
いまの日本の状況は、核家族が基本になっているので、そこを見直したほうがいいのかもしれない。あるいは、そこを補う仕組みをもっと社会で用意するべきかもしれないのだ。
加えて言うなら、なぜ日本の子育てだけが孤独なのだろう。以下は番組を離れて、ぼくが考えたことだ。
まず男性が子育てに関われていない状況は大きい。これは男性も子育てすべきという社会教育がまったくないのが主因だろう。それを日本の伝統とするのは思い込みだ。江戸時代は侍も含めて男性も子育てに大いに関わったらしい。伝統のせいにするのは大きな誤解だ。
だがそれも含めて大きいのは、そもそも社会が子育てをないがしろにしているせいだと思う。子育ての価値をきちんと認識せず、それより企業社会の経済活動を優先し、それが当然という顔をして、子どもなんて女房どもにまかせておけばいいのだと、社会全体が考えているからだ。そしてどうやら、そんな国は日本だけらしいのだ。
欧米が日本同様少子化に陥りかけたあと、それを克服しつつあるのはなぜだろう。少子化が顕在化した時、これはいかんと社会の仕組みを大きく変えたからだ。これはいかんとパッと思えたのは、子どもが社会にとっていちばん大事なのだという共通認識があったからだろう。
日本では満員電車にベビーカーで乗るべきではないとかいう議論が巻き起こる。それはつまり、人類みんながわかっている「子どもはみんなで育てるもの」ということが日本だけ常識になってないからだ。人類を繁栄させてきたのは、たくさん子どもを産んでそれをみんなで育てる、というチンパンジーにはない種の文化を持てたからなのに、日本人だけその文化を無くしてしまったのだ。公共の場に赤ちゃんを連れてくるのはいかがなものか。そんなことが大まじめに議論されるのは、日本人が人類としての長所を失ったからなのだ。人口が減るのも当然かもしれない。
子育てを社会の真ん中にすえなければならない。古今東西人類のあらゆる社会は、子育てを中心にすえて物事を考えていたのに日本人だけそうじゃない。そのことをぼくたちは、自覚する時だと思う。
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境 治
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